旧国立駅舎の生い立ち

更新日:令和元年5月13日

大正期の国立学園都市計画における旧国立駅舎とまちの関係性について

国立学園都市(国立大学町)の成り立ち

大正12(1923)年、関東大震災で校舎が倒壊した東京商科大学(現一橋大学)と当時大規模な郊外開発を手がけていた箱根土地株式会社(現株式会社プリンスホテル)が契約し、大学校舎を中心に据えた学園都市を開発しました。

箱根土地株式会社:現在の西武創業の祖、堤康次郎氏により設立された土地開発会社で、小平学園都市(大正14(1925)年)、大泉学園都市(大正14(1925)年)などを手がけています。

旧国立駅舎はまちの顔としてつくられました

国立学園都市の最初の構想は、東京商科大学と箱根土地株式会社の間に結ばれた「土地交換契約覚書(大正14(1925)年)」に書かれています。この覚書のなかで、駅舎は大学町にふさわしいものとするよう特に言及され、また、駅前広場や大学通りなどとの関係が定められています。駅とまちが一体となった優れた都市計画の貴重な事例です。

開業当初、「赤い三角屋根に白い壁」という典型的洋館風の駅は、箱根土地株式会社が開発した分譲地(国立大学町)の広告塔として大きな役割を狙ったものと思われ、文化的なまち国立をイメージするデザインとして、分譲広告には駅の写真が大きく掲載されました。

駅前広場や大学通りとともに、国立の魅力ある景観を形づくってきました

旧国立駅舎は、大学通りからのアイストップとして人々の印象に強く残る建物です。くにたちの魅力的な景観に欠かせない建物といえるでしょう。当時の区画図を見ると、駅・駅前広場・大学通りの配置を始めとした国立大学町の街路が現在まで残っていることがよくわかります。

アイストップ:通りなどの終点に位置し、強力な目印となっている建物や自然のこと。

(写真)国立大学町分譲地の区割図

▲昭和2(1927)年の分譲ちらし(所蔵:くにたち郷土文化館)

駅前広場を持つ先駆事例です

国立のような駅前広場を持つ駅舎は、実は戦後のものがほとんどです。国立駅の駅前広場は、開発当初、中央の円形公園に水禽舎が置かれ、ペリカンが飼われるなど、人が集まる場所として計画されていました。また、一時期、円形公園部分に盛土して「展望台」をつくる計画もあったようです。

駅と一体につくられたまちの風景は多くの人に親しまれ、受け継がれてきました

旧国立駅舎は、三角屋根の強い個性の意匠をもち、大正期木造駅舎としての希少価値が高いことや、大正期の国立学園都市計画の中で国立駅舎が重要な位置付けがあった歴史的環境などを理由に、平成18(2006)年に国立市有形文化財に指定されています。そして解体された今もなお、国立の歴史を象徴し、多くの市民に親しまれ、愛着を持たれています。

平成18年10月 国立市有形文化財指定

▲開発当初の駅舎と大学通り

▲平成6(1994)年、大学通りからみた旧国立駅舎

旧国立駅舎は都内有数の歴史ある駅舎です

都内でもっとも古い木造駅舎建築のひとつでした

国立駅は大正15(1926)年の竣工で、解体前は大正13(1923)年の原宿駅舎などに次ぎ古い木造駅舎でした。大正時代の駅舎が持つ親しみやすいスケール感を伝えてきました。

明治期から大正期にかけての典型的な構造技法であるキングポストトラスの洋小屋です。また、建物の構造の一部に、イギリス、ドイツ、アメリカなどでつくられた古レールが用いられており、当時の鉄道建築の作られ方を知るうえで貴重な史料となっています。

旧国立駅舎のデザイン

 

建設当時の旧国立駅舎のスケッチ

▲建設当時の旧国立駅舎のスケッチ

大正15(1926)年に建てられた時は、上図のような形をしていました。

昭和40年代までは、ドーマー窓(屋根窓)が付いていました。左右非対称の三角屋根にロマネスク風の半円アーチ窓をあしらっており、たいへん個性的なデザインです。昔は飾り柱が付くなど、より装飾的な姿でした。アーチ窓の中にも銀杏型の枠がつけられています。

入口には扉があり、住宅のような姿でした。英国の田園都市の小住宅のデザインを取り入れています。

生い立ちは請願駅です

国立を開発した箱根土地株式会社が建物をつくり、鉄道省に寄付した駅です。こうした生い立ちを持つ駅を「請願駅(せいがんえき)」といいます。

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