市登録・史跡(2)

更新日:2023年06月30日

清水の立場(茶屋跡)

「江戸名所図会」より

「江戸名所図会」より

文化財分類種別

市登録史跡

所在地

国立市谷保5827

公開状況

公開

所有者・管理者

個人

登録日

平成11年4月1日

概要

清水の立場について、『江戸名所図会』には次のように記されています。

「甲州街道の立場にして、この辺ここかしこに清泉湧出するゆえに、清水村の称ありといふ。この地に酒舗ありて、店前清泉沸流す。夏日は索麺(そうめん)を湛(ひた)して行人を饗応せり。ゆえにこの地往来の人、ここに憩ひて炎暑を避けざるはなし。」

記述にもあるように、このあたりは谷保髄一の湧水地であったようで、夏ともなるとそうめんを清水にひたして、炎天下の甲州街道を旅する人々をもてなす立場茶屋があったようです。
現在は湧水の跡が見られる程度ですが、雨が降った翌日等は水が湧き出す様子が見られる日もあります。

 

園成院跡(観音堂跡・稲荷社)及び矢澤家墓所

写真・円成院跡全景

文化財分類種別

市登録史跡

所在地

国立市谷保5889、5890番地

公開状況

非公開

所有者・管理者

個人

登録日

平成29年4月1日

概要

宝永2(1705)年、矢澤大堅(たいけん)によって建立された寺院・藤井山圓成院(とうせいざんえんじょういん)の跡地の一角です。

大堅は、鋳物師(いもじ)の矢澤家出身で、黄檗宗の僧であり、この地で黄檗宗の布教に努めました。江戸幕府による新田開発奨励を受け、上谷保村の人々と共に野中新田(のなかしんでん)と呼ばれる一帯の開拓を行いました。
圓成院は享保12(1727)年、野中新田へ引寺され(現・小平市野中山円成院)、藤井山圓成院は廃寺となりましたが、寺域にあった観音堂と稲荷社は当地に残りました。
観音堂は寛政4(1792)年に南養寺に移転し、大悲殿(市指定有形文化財・建造物)として伝存しています。観音堂があったとされる場所は、現在矢澤家の墓所となっています。

大堅を輩出した鋳物師の矢澤家は関東鋳物師頭を務め、この地の周辺に居を構えて活躍しました。分家は川越や川口でも活躍していることから、この地は関東の鋳物師発祥の地ともいえます。

圓成院跡は地域の歴史を伝える貴重な場所となっています。

 

この記事に関するお問い合わせ先

教育委員会 教育部 生涯学習課 社会教育・文化芸術係



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